(2022年9月16日・金曜日)
美濃街道を歩いてきました。
桑名駅から歩いて、スタート地点の東海道と美濃街道の分岐点に向かいます。
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銀座商店街のアーケードを通ります。
八間通を東に進みます。
途中、寺町通りにあるフルーツスノウでかき氷を食べました。
■フルーツスノウ(桑名市北寺町)
「アイス饅頭かき氷」「メロンだけミルクかき氷」
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八間通をさらに東に進み、東海道を七里の渡し跡に向かって北に進みます(直進)。
東海道と美濃街道の分岐点に到着しました。直進すると、七里の渡し跡です。
美濃街道は左折して、西に進みます。
「通り井跡」
桑名は地下水に海水が混じるため、寛永3年(1626)に町屋川から水を引いた水道をつくり、町内の主要道路の地下に筒を埋め、所々の道路中央に正方形の升を開けて、一般の人々が利用した。これを「通り井」と言う。昭和37年(1962)工事のため道路を掘っていて、「通り井」跡の一つが発見された。現在は道路面に「井」と書いた石がはめこまれている。(現地説明板より)
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川口町の渡し船場から約200m南。
川口町と江戸町の境から、美濃街道を西に進みます(直進)。
街道を歩いている途中に見かけた、コンクリート製ゴミ箱。(桑名市本町)
実家は田舎なのでコンクリート製ゴミ箱は無かったですが、街に住む祖母の家の前にはありました。
美濃街道沿いにマフィンのお店があります。
■ハッピーマフィン(桑名市北魚町)
いつか行ってみたいと思っていたのですが、大人気で行列しているとのことでなかなか来ることができませんでした。ちょうどお店の前を通った時にお客さんがいなかったので入ってみました。マフィンは大部分の種類は売れていましたが、3個買いました。
(画像上から時計回りに)
「モカコーヒー」「ほうじ茶とヘーゼルナッツとホワイトチョコ」「ミルクティ紅茶」
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ハッピーマフィンから美濃街道を少し西に進むと、桑名かき氷街道参加店舗の「まちカフェFlatiron3」があります。
■まちカフェFlatiron3(桑名市三崎通)
かき氷を食べました。「カナディアンロッキーズ(コーヒー)」
「フォートラングレーフォグ(紅茶)」
寄り道が多くてなかなか進みません。
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さらに美濃街道を西に進みます。県道613号を横断します(直進)。(桑名市三崎通)
美濃街道から北に逸れて、浄土寺に向かいます。T字路を右に進みます。(美濃街道は直進)
正面に浄土寺が見えます。
本多忠勝の墓を見てこなかったので、また来てみようと思います。
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美濃街道に戻り、西に進みます(直進)。
右折すると諸戸氏邸の前の堀が、左折すると正面に寺町通りの北側入口が見えます。
(右折すると)諸戸氏邸の南にある堀。正面に諸戸氏邸が見えます。
11月5日から12月4日まで諸戸氏庭園秋の一般公開があるので、見に来たいです。
(左折すると)正面に寺町通りの北側入口が見えます。
■三崎見附跡(桑名市今片町)
江戸時代、三崎通の西端は三崎見附と呼ばれ、多度や美濃国への出入り口として「番所」と「三崎門」が設置されていました。多くの人が往来することから、寺の開帳や芝居・相撲の開催などを告げる立札が建てられる場所でもありました。
桑名の地は木曽三川と町屋川(員弁川)の河口に位置し、三つの洲に分かれていたと言われています。「三崎」とは、その三つの洲の総称でした。江戸時代に入り、本多忠勝が桑名城主になると、大規模な造成を行い現在の桑名の基礎となる町割りが行われ、「慶長の町割り」と呼ばれています。(現地解説版より)
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美濃街道をさらに西に進みます(直進)。
市道・太一丸江場線横断を横断します。
さらに西に進みます。
街道は直進します。
画像左側の建物は、閉店した和菓子屋さん・長栄堂です。夏に何度かかき氷を食べに来たことがあります。(桑名市堤原)
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左手に北桑名神社が見えてきました。
当社は、江戸時代始めより現在地に鎮座し、「三崎神明社」とも、「今一色神明社」とも称された今一色の産土神です。明治41年(1908)、太一丸にあった「太一丸神明社」、宝殿町にあった「佐乃富神社」を合祀し「北桑名総社北桑名神社」と改称しました。昭和12年(1937)、古くなった社殿等の大改修がおこなわれ立派な社殿神舎に成りましたが、惜しくも先の大戦で全て消失しました。戦後氏子、崇敬者の協賛により本殿拝殿等逐次再建され、今日に至っています。(現地説明板より)
総門
平成24年(2012)に再建されました。
帖付地蔵尊
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美濃街道はカーブして、北の方向に進みます。(画像正面突き当たりを右に進む。)
街道は右に進みます。この辺りに道標と多度両宮常夜燈があったようですが、無くなっていました。
道標は弘化4年(1847)のもので、道が左右に分岐する西北角にありました。「左すてん志よみち」「右みの多度みち」と刻まれていました。すてん志よとは駅(ステーション)のこと。明治以降に彫りくわえられたと考えられるそうです。
多度両宮常夜燈は、安政3年(1856)のもの。道標の横にあったようです。約350人におよぶ寄進者の名前が彫られているそうです。
美濃街道は北に向かって進み(直進)、国道1号線に合流します。
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合流点に「参宮国道」と彫られた石碑があります。昭和7年(1932)のものです。
美濃街道は、しばらく国道1号線を北に進みます。
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国道1号線を進んでいると、「矢田野橋」があります。
(進行方向に向かって右側の歩道を歩いていたため、左側にしかない矢田野橋の親柱に気づかず、次の橋の「中矢田橋」まで進んでしましました。戻って撮影しました。)
西を見ると水路があります。
東を見ると道路です。(暗渠になっているのでしょうか?)
さらに国道1号線を北に進むと、「中矢田橋」が見えてきました。
西を見ると水路があります。
東を見ると、店舗の駐車場になっています。
さらに国道1号線を北に進みます。「北矢田橋」があります。(桑名市福島)
西を見ます。
東を見ます。
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さらに国道1号線を北に進みます。中部電力パワーグリッド桑名変電所の前に、稲荷神社あります。(桑名市福島)
国道1号線を北に進んでいきます。
国道1号線は右にカーブしていきます。
国道1号線は右に進みます。美濃街道は左側の細い道を進みます。
美濃街道は、県道142号・宮前西交差点横断を横断して北に進みます。(直進)
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美濃街道は、左の細い道を進みます。
西浄寺にやってきました。
■桑北山 西浄寺(浄土宗)(桑名市播磨)
釈迦如来立像(画像左)
嘉永2年(1849)のもの。元は街道沿いに建っていましたが昭和10年(1935)に移設されました。
名号碑(画像右)
天保12年(1841)のもの。「南無阿弥陀佛」と刻まれています。元は街道沿いに建っていましたが昭和4年(1929)に移設されました。
六地蔵 元禄3年(1690)のもの。
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歩行者用の橋です。
西の方を見ると、近鉄が走っているのが見えました。
東の方を見ると、沢南橋が見えます。
大山田川1号橋を渡って堤防の道を少し進んですぐに、右側の道を降りていきます。
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上之輪神明社に到着しました。
コミカンソウに似ているけど、実の柄(え)部分が長い植物をみつけました。帰って調べてみると、「ナガエコミカンソウ(別名:ブラジルコミカンソウ)」というコミカンソウ科の帰化植物でした。
伊奈利社・阿岐葉社
美濃街道は、神社の前の細い道を進みます。
沢北川3号橋を渡って左折します。(桑名市播磨)
近鉄とJRの高架下を通ります。
高架下をくぐってすぐ、美濃街道は線路沿いを北に進みます。
今日の美濃街道歩きはここで終了。左折して、養老鉄道・播磨駅に向かいます。
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最初の交差点で左折します。
大山田川に架かる新宮西橋の手前で、橋を渡らず左折し堤防道路を西に進みます。
橋の手前で左折。
川沿いの道を西に進みます。
ハローキティラッピングの列車。
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桑名駅に到着しました。
近鉄に乗り換えます。