東海道を歩く ~井田川駅から巡見道分岐点~

(2022年7月11日・日曜日)

JR関西本線井田川駅から亀山市本町4丁目にある巡見道の分岐点まで、東海道を歩きました。

これまでに、桑名・七里の渡し跡から四日市市釆女町まで歩いたことがあります。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

近鉄に乗って、伊勢若松駅で平田町行きに乗り換えます。

田町駅に到着です。

■平田町駅鈴鹿市算所3-1-1)

田町駅バス停から亀山駅前行きのバスに乗って、JR関西本線井田川駅に向かいます。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

バスで約20分、井田川駅バス停に到着しました。途中、バスは東海道を通りました。

井田川亀山市井田川町)

井田川駅前待合室

日本武尊

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

井田川駅前から、東海道を西に向かって歩きます。

井田川駅の近くに地蔵堂と海善寺があるのでそちらに行くために、東海道を進行方向とは逆に進みます。

東海道沿いに地蔵堂が見えてきました。

地蔵堂亀山市井田川町)

地蔵堂の前の道を入っていくと、海善寺があります。

■海善寺亀山市井田川町)

加藤家は江戸後期の亀山藩石川家の家老職をつとめた家で、西丸町にある加藤家屋敷跡には、市指定有形文化財(建造物)である長屋門・土蔵があり、敷地の大半は市指定の史跡である。

海善寺本堂の向拝は加藤家の屋敷玄関が移築されたもので、正面の蟇股(かえるまた)部分に加藤家の家紋(藤崩紋)を見ることができる。(現地説明板より)

井田川駅前に戻り、東海道を西に向かって進みます。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道を進んでいると右手に、二宮金次郎像やベンチが設置されて整備されたスペースがありました。

■海善寺休憩所亀山市井田川町)

井田川小学校跡

大正4(1915)年2月7日小田町より移転し、昭和54(1979)年3月31日まで存在した。此の石ぶみはその門柱の片方である。

歩いていると道路の所々に、「東海道」のプレートが設置されています。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

JR関西本線の電車が通りました。

東海道は直進します。

■JR関西本線・柿の木踏切亀山市井田川町)

なぜ「柿の木踏切」なんだろう?

井田川駅のほうを見てみます。

まだこれだけしか進んでいません…亀山駅にたどりつけるのか?

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

国道25号線・川合町北交差点を横断します。川合歩道橋を渡ります。

■川合歩道橋亀山市川合町)

国道25号線 四日市方向を見ます。

反対方向

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

川合歩道橋を渡り西に少し進むと、東海道は左(南)に折れます。(亀山市川合町)

東海道沿いに、西信寺が見えてきました。

■西信寺亀山市川合町)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

西信寺から東海道を進むと、右手に「川合町公民館」の看板があります。そこで東海道からそれて進むと、正面に正福寺が見えてきます。

■正福寺亀山市川合町)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道に戻りさらに南に進むと、椋川に架かる川合椋川橋が見えてきました。

■川合椋川橋亀山市川合町)

理左衛門橋

昔、椋川がしばしば氾濫し多くの家屋が浸水したため、安永年間(1624~44)頃、亀山藩士生田理左衛門が私財を投げうって水流を南へ変え、橋を架け替えた。現在は川合椋川橋という。

下流方向を見ます。

上流方向を見ます。

国道25号線・川合高架橋の下を通ります。(亀山市川合町)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道を進むと、右手に「谷口法悦題目塔」があります。

■谷口法悦題目塔亀山市和田町) 【亀山市指定有形民俗文化財

この題目塔は東海道の川合と和田の境にあり、昔から「川合のやけ地蔵さん」「法界塔さん」と呼ばれている。総高2.59mで、塔の正面に「南無妙法蓮華経」、右側に「後五百歳中廣宣流布」、左側に「天長地久國土安穏」、背面に「施主谷口法悦」と刻まれている。

造立者の谷口法悦(生年不詳)は京の日蓮宗の篤信者で、17世紀末頃、一族と共に各地の寺院、街道筋や追分などに題目塔と呼ばれるこれらの塔を造立したことがわかっている。(現地説明板より)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さらに東海道を進みます。

東海道」の標識

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道をさらに進むと、左手に和田道標が見えてきました。

■和田道標亀山市和田町) 【亀山市指定有形民俗文化財

元禄3(1690)年、東海道から神戸・白子・若松(鈴鹿市)方面への分岐に建てられた道標である。正面に「従是神戸白子若松道」、左側面に「元禄三 庚午 年正月吉辰施主度会益保」と刻まれている。 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道は右に進みます。(正面は県道28号・和田交差点です。)

左手に、シャングリサンの小祠が見えてきました。

■シャングリサンの小祠亀山市和田町

通行人による悪疫から子供を守るために祀った。『東海道分間延絵図』には「叉具神」と記されている。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道は緩やかに右に曲がります。

東海道の標識が出ています。

火の見櫓が見えてきました。

和田町公民館亀山市和田町

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

公民館から東海道を少し西に進むと、左手に道標があります。

■井尻道の道標亀山市和田町) 正面に進むと、左手に幸福寺があります。

■幸福寺亀山市和田町

本堂と石柱だけが残っていて、境内は更地になっています。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道に戻り西に進むと、右手に福善寺があります。

■福善寺亀山市和田町

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道をさらに西に進みます。

正面右手が石上寺です。石上寺に向かう前に、橋を渡ってすぐ右折し、和田神社に向かいます。

川沿いの道をしばらく北に進みます。

和田神社が見えてきました。

■和田神社亀山市和田町

祭神 伊邪那美之大神・建速須佐之男命・速玉男之大神

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道に戻り西に進むと、右手に石上寺が見えてきました。

那智山 松寿院 石上寺亀山市和田町

石上寺は、延暦15年(796)、大和国布留(ふる)郷(奈良県天理市)の住人「紀真龍(きのまたつ)」により勧請された「新熊野三社(いまくまのさんじゃ)」の神宮寺として開創されたという。鎌倉時代には将軍家祈祷所となるなど手厚い保護を受け広大な伽藍寺領を誇ったが、織田信長の伊勢進攻による兵火で、伽藍等を失い衰微したと伝えられる。(現地説明板より)

かわいい柴犬がいました。

弘法大師

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道を西に進みます。

右手に、和田一里塚跡が見えてきました。

■和田一里塚跡亀山市和田町

野村一里塚とともに亀山市内に所在する旧東海道の一里塚で、慶長9年(1604)幕府の命により亀山城主であった関一政が築造した。

かつてはエノキが植えられており、昭和59(1984)年の道路拡幅までは塚の一部が遺されていた。現在の塚は、塚跡地の東側に近接する場所に消滅した和田一里塚を偲んで模式復元したものである。(現地説明板より)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道をさらに西に進みます。西の空の雲が黒くなってきています。

国道306号線・栄町交差点に到着しました。(亀山市栄町)

ようやく、通ったことがあり知っている場所にきました。東海道は直進ですが、雲行きがあやしいのでここで左折して、国道沿いにあるコメダに向かうことにしました。

国道306号線を南に約100m進んだところに、コメダがあります。

コメダ珈琲店亀山上野店亀山市上野町)

雨がどしゃ降りになりました。やむまで待つことにしました。

「フルーツミックス氷(ミニ)」

「キャラメルオーレ氷(ミニ)」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

雨が上がったので、東海道に戻ってさらに西に進みます。

左手にカメヤマローソクがあります。

■カメヤマ株式会社 亀山工場亀山市栄町)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

カメヤマローソクの正門から、東海道を西に約60m進んだ(右手の)民家の庭に、地蔵堂があります。民家の庭にあるとは思っていなかったので、なかなか見つけることができませんでした。右手に、能褒野神社二の鳥居も見えています。

地蔵堂亀山市栄町) 今は街道右側にありますが、元は左側にあったとのこと。

■能褒野神社二の鳥居亀山市栄町)

能褒野神社はここから北に約4kmの場所にあります。一の鳥居は亀山駅前にあったようですが、今は駅前再開発中で撤去されているようです。

鳥居の手前に、地面に埋もれた道標があります。草に埋もれていてなかなか見つけることができませんでした。

■道標亀山市栄町) 「従是北境町」と刻まれているという。鳥居の下に頭部のみ見えている。

「屋号札の掲示」の説明板

亀山市は、江戸時代の城下町、また東海道四六番目の宿場町として栄えた町です。

そんな亀山から近年急速に古い建物が姿を消し、路地もさびれて、以前の賑わいも見られなくなりました。

かかる現状を憂えた「きらめき亀山21町並み保存分科会」では協議を重ねた結果、歴史的な町のたたずまいを復活する最初のプロジェクトとして、屋号の木札をつくり、該当するお家に掲げていただくことを始めました。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道を西に進みます。右手に、露心庵跡の看板が見えてきました。

■露心庵跡亀山市本町4丁目)

天正十二年(1584)神戸正武が亀山城を急襲したが、城を守る関万鉄斎ははわずか十三騎でこれを撃退した。この合戦の戦死者を城下東端に二つの塚を築き葬ったという。関氏一門の露心はその近隣に仏庵を建立し戦死者を供養した。この仏庵が露心庵で、本来の名称は友松庵というが、建立した露心の名から露心庵と呼ばれていた。明治に至り廃寺となった。この庵から西が亀山宿となる。(現地説明板より)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道を西に進みます。巡見道の分岐点が見えてきました。(亀山市本町4丁目)

巡見道という呼称は、江戸時代にこの道を巡見使が通ったことによる。巡見使が最初に派遣されたのは、三代将軍家光の寛永十年(1633)のことで、その後将軍の代替わりごとに、諸国の政情、民情などの査察や災害などの実情調査を行う目的で実施された。巡見道は、ここで東海道から分岐して北上し、菰野を経て濃州道と合流した後、伊勢国を通過し中山道とつながる。(現地案内板より)

ここから巡見道は北上します。

今日の東海道歩きは、時間がないのでここまでにしました。ここから急いで亀山駅に向かいます。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

亀山駅に向かうために、もうしばらく東海道を歩きます。

商店街を進みます。(亀山市東町2丁目)

県道565号・東町交差点

東海道は直進ですが、亀山駅に向かうためにここで左折します。

坂道を下ります。

ここで右折して細い道を進むと少し近道ができたのですが、うっかり直進してしまいました…

商工会議所前交差点で右折します。(亀山市御幸町

工事中で通ることができませんでした。直進できないので、ここで左折して路地を進みます。「絶品やきいも」「営業中」ののぼりが気になります。

「芋笑」という焼き芋屋さんです。今度亀山に来たときに寄ってみようと思います。(亀山市西町)

今日は時間が無いので諦めました…

最初の交差点で右折して西に進むと、このあたりも道路工事中?

駅前通り」 北方向を見ると、道路工事中です。通行できません。

南方向(亀山駅方向)を見ます。通行はできますが道路工事中です。高層マンションも建築中です。

亀山駅が見えてきました。駅前再開発工事中です。

久しぶりに亀山駅に来たのですが、以前がどんな様子だったのか思い出せません。

駅前の和菓子屋さん、「瑞宝軒」がリニューアルオープンしたそうです。(亀山市御幸町

今度来たときに立ち寄ってみたいと思います。

亀山駅亀山市御幸町

駅前に高層マンションと、「Kitto terrace(キット テラス)」という再開発ビルが建設中です。

関西本線に乗って帰りました。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

富田駅で降りて、松原の石取祭を見ました。(祭車が国道1号線を横断しているところ)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

東海道桑名市東船馬町~四日市市采女

2010年1月24日 「東海道を歩く 桑名~朝日」その1

「七里の渡し跡(桑名市東船馬町)」から「いもや本店(桑名市新町)」へ

2010年1月24日 「東海道を歩く 桑名~朝日」その2

「教宗寺(桑名市新町)」から「教覚寺(桑名市東矢田町)」へ

2010年1月24日 「東海道を歩く 桑名~朝日」その3

「善西寺(桑名市西矢田町)」から「安永立場(桑名市安永6丁目)」へ

2010年1月24日 「東海道を歩く 桑名~朝日」その4

「金光寺(三重郡朝日町大字縄生)」から「一里塚跡(三重郡朝日町大字縄生)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2010年1月27日 「東海道を歩く 朝日~富田」その1

「朝日町資料館(三重郡朝日町大字小向)」から「蓮證寺(四日市市松寺3丁目)」へ

2010年1月27日 「東海道を歩く 朝日~富田」その2

「宝性寺・御厨神明神社四日市市蒔田2丁目)」から「富田一里塚(四日市市富田3丁目)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2009年12月9日 「東海道を歩く 富田~四日市」その1

「富田一里塚跡(四日市市富田3丁目)」から「十四橋(十四川)(四日市市南富田町)」へ

2009年12月9日 「東海道を歩く 富田~四日市」その2

「常夜燈(四日市市南富田町)」から「三ツ矢一里塚跡(四日市市三ツ谷)」へ

2009年12月9日 「東海道を歩く 富田~四日市」その3

「法泉寺(四日市市京町)」から「諏訪神社四日市市諏訪栄町)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2009年10月8日 「東海道を歩く 四日市~日永の追分」その1

諏訪神社四日市市諏訪栄町)」から「鹿化橋(鹿化川)(四日市市赤堀南町)」へ

2009年10月8日 「東海道を歩く 四日市~日永の追分」その2

「大宮神明社四日市市日永1丁目)」から「天白橋(天白川)(四日市市日永2丁目)」へ

2009年10月8日 「東海道を歩く 四日市~日永の追分」その3

「両性寺(四日市市日永3丁目)」から「日永の追分(四日市市追分3丁目)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2012年3月29日 「東海道を歩く 日永の追分~小古曽三丁目交差点」

「日永の追分(四日市市追分3丁目)」から「小古曽三丁目交差点(四日市市小古曽3丁目)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2012年4月3日 「東海道を歩く 小古曽三丁目交差点~采女

「小古曽三丁目交差点(四日市市小古曽3丁目)」から「豊富稲荷神社(四日市市釆女町)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

【伊勢街道】四日市市・日永の追分~伊勢神宮 内宮

2019年4月11日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅3日目

近鉄四日市駅・スタート、鈴鹿市駅・ゴール

2019年5月4日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅4日目

鈴鹿市駅・スタート、白子駅・ゴール

2019年5月25日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅5日目

白子駅・スタート、豊津上野駅・ゴール

2019年9月1日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅6日目

豊津上野駅・スタート、津駅・ゴール

2019年9月7日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅7日目

津駅・スタート、南が丘駅・ゴール

2019年9月28日

近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り 旅8日目(南が丘駅・スタート、松ヶ崎駅・ゴール)」が開催される9月22日が雨予報だったので参加せず、『みえの歴史街道・ウォーキングマップ』を参考にして歩きました。

三重交通垂水バス停(津市垂水)・スタート、三重交通小野江バス停(松阪市小野江町)・ゴール

 

2019年2月24日 近鉄ハイキング×JRさわやかウォーキング共催「~夢の蝦夷地へ!~伊勢街道と北海道の名付け親 松浦武四郎

JR紀勢線・六軒駅スタート、近鉄伊勢中川駅ゴール

2019年10月6日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅9日目

伊勢中川駅・スタート、松阪駅・ゴール

 

2019年10月27日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅10日目

松阪駅・スタート、斎宮駅・ゴール

2019年11月16日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅11日目

斎宮駅・スタート、宇治山田駅・ゴール

2019年12月1日 近鉄ハイキング・「昔も今もお伊勢参り」旅12日目【最終日】

宇治山田駅・スタート、五十鈴川駅・ゴール

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

【八風道】四日市市富田一色町三重郡菰野町小島

2011年1月2日 「八風道を歩く 富田一色町~中村町」その1

龍泉寺」から「道標(大矢知町)」へ

2011年1月2日 「八風道を歩く 富田一色町~中村町」その2

「道標(大矢知町)」から「神明社旧跡の石碑」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2011年3月20日 「八風道を歩く 中村町~山城町

「安養寺」から「信明寺」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2011年5月14日 「八風道サイクリング 山城町菰野町永井」その1

神明社跡」から「地蔵堂(中野町)」へ

2011年5月14日 「八風道サイクリング 山城町菰野町永井」その2

「天春家」から「野面石の道標(菰野町永井)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2011年10月8日 「八風道サイクリング 菰野町永井~菰野町小島」その1

「野面石の道標(菰野町永井)」から「福徳稲荷」へ

2011年10月8日 「八風道サイクリング 菰野町永井~菰野町小島」その2

「井出神社(菰野町永井)」から「八風橋(朝明川)(菰野町小島)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

【濃州道】桑名市大字三ツ矢橋いなべ市員弁町大字大泉新田

2010年10月30日 「濃州道を歩く 桑名市大字三ツ矢橋~桑名市大字西別所」その1

国道421号線・三ツ矢橋交差点(桑名市大字三ツ矢橋)」から「善龍寺(桑名市大字矢田)」へ

2010年10月30日 「濃州道を歩く 桑名市三ツ矢橋~桑名市大字西別所」その2

「善龍寺(桑名市大字矢田)」から「地蔵堂・石碑(桑名市大字矢田)」へ

2010年10月30日 「濃州道を歩く 桑名市三ツ矢橋~桑名市大字西別所」その3

「西村製油所(桑名市大字上野)」から「子安観音(桑名市大字西別所)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2011年4月1日 「濃州道サイクリング 桑名市大字西別所~東員町大字穴太」その1

地蔵堂桑名市大字額田)」から「県道63号・坂井橋交差点(桑名市大字星川)」へ

2011年4月1日 「濃州道サイクリング 桑名市大字西別所~東員町大字穴太」その2

「県道63号・坂井橋交差点(桑名市大字星川)」から「芳ヶ崎のクロガネモチ(桑名市大字芳ヶ崎)」へ

2011年4月1日 「濃州道サイクリング 桑名市大字西別所~東員町大字穴太」その3

「芳ヶ崎のクロガネモチ(桑名市大字芳ヶ崎)」から「穴太駅の北約200m(東員町大字穴太)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2011年4月10日 「濃州道サイクリング 東員町大字穴太~東員町大字鳥取

穴太駅の北約200m(東員町大字穴太)」から「チリン坂(東員町大字鳥取)」へ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2011年10月10日 「濃州道サイクリング 東員町大字鳥取いなべ市員弁町大泉新田」その1

「チリン坂(東員町大字鳥取)」から「長宮公園(北勢線長宮駅跡)(いなべ市員弁町大字大泉)」へ

2011年10月10日 「濃州道サイクリング 東員町大字鳥取いなべ市員弁町大字大泉新田」その2

「長宮公園(北勢線長宮駅跡)(いなべ市員弁町大字大泉)」から「神明社から約80m北の交差点にある道標(いなべ市員弁町大字大泉新田)」